麻の香庵 

日々のあわい ことのはポートレート

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シルバーのこと



シルバーが綿毛みたいに旅してるーー
このところ、そんなおもいをいだかされるできごとが重なりました。

ともがらがオーダーしてくれて制作した、樹皮のシルバー。
手から手にわたり、その掌にたしかに受けとっていただけた、よろこび。

また別のともがらが、待ち合わせ場所で会った瞬間にくれた、
マロニエの実の殻をかたどったシルバー、そしてわたしへのことば。

そして週末に帰った実家で、弟のパートナーに先日贈ったシルバーを、
7歳の姪が身につけてきてくれたときの、うれしげな表情。
今月やってくる彼女のお誕生日にも、プレゼントすることになりました。

シルバーを介して折り重なるようにおとずれた出来事は、みんな綿毛のように旅して
着地したシルバーと、ふれたひととの、あわいにうまれた灯りのようなもの。

わたしにとってシルバー制作は、たのしい、という時間ではありません。
文を書くことと同様、必要、といったほうが近い気がします。


そして今週、ともがらがもってきてくれた、マロニエの実と、実の殻。

この紋様は、時間の経過とともに、濃い色に沈み、見えなくなります。
守られたものから出てきた、そのいっときだけみせてくれるすがた。

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実の殻たち。
針の先ほどのわずかな突起が表面からあらわれているのが、むしろとても手ざわりがいい。

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実の殻や樹皮などを象るようになってから、あらためて、いきている、ということの深みをおもいます。
それらは、生物としてのいのちはもう終えている。
それでも、役目としてのいのちは、そこで絶えるわけではない。
幹とせかいをつなぐものとして。
地に還り、つぎのめぐりへの献身として。

なぜかひかれてきたものたちを、象って、銀のすがたでみるようになって、
そんなことを感じるようになったのです。

いま一歩。すすみたい。
すすめよう。
そうおもっています。



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あるべきように



先月の展示会で出会った、iaiのチュニック。
そろそろ着られる時期が近づいてきたけれど、この一枚とのおつきあいは、しぜんのなかからはじめたいな……
そんなおもいでこのところ、タイミングをはかっていました。

わたしのいまの住まいは、都内のターミナル駅から徒歩圏内という場所。
にもかかわらず、5階の部屋の前にはいつも欅がいてくれて、しずかな時間帯はここがそんな場所だということを忘れさせてくれることもあります。
それでもやっぱり、草木がそのまんま、うたっておどっているようなところで、袖を通したかったのです。
その願いをかなえるために、鎌倉へとでかけました。

バスを降りてすぐ。
草花との出会いが、はじまりの合図。

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少し歩くと、ほとんど手を入れられていない公園があります。
ミゾソバの花が、そこここでいっぱい、野の花畑になって。
つぼんでいた手をそっと開いて、ちいさなたからものをみせてくれているようなたたずまい。
ことばもおもいも消えてしまって、ただただ、しばらくいっしょにいた。

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不思議な丸太に、目がくぎづけになった。
丸太じたいはすでに切られて生きてはいないはずなのに、樹皮をわって、内から芽がのびはじめています。
樹って、樹のいのちって、生きているって、生きていないって、いったいどういうことなのか。

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そうしているうちしぜんのなかに入っていって、服も風や樹々や日のひかりや草花と、ゆれはじめて。
それをともがらに映してもらいながら、道をゆきます。

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寝転んだ真弓の樹の下。
おおきく深呼吸をしたそのとき、葉の息をするのがひかりを透してみえた。

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ぐうぜんです。
でもこんなぐうぜんは、ただのぐうぜんとはおもえない。
そのすぐそばに、蕎麦の花が、ひらいてひらいて、ひらいていました。

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蕎麦が大好きなのに、その花にふれるのははじめて。
そういえば、白くあわいひかりの粒のような咲き姿を、葉山にあったお蕎麦屋さんが店名にしていたのを、おもいだしました。
「如雪庵 一色」。
お店も、蕎麦前も、鄙願という銘酒も、もちろんお蕎麦も、だんなさまも奥様も、さりげなく置かれてあったかずかずの芸術家からのおくりものも…
みんなみんな、とってもとっても、なつかしい。
目の前にありありとおもいだせるのに、いまはもうない、そのお店を。

 霜草蒼蒼虫切切   霜草は蒼蒼として 虫は切切たり
 村南村北行人絶   村南 村北 行人絶ゆ
 独出門前望野田   独り門前に出でて野田を望めば
 月明蕎麦花如雪   月明らかにして 蕎麦花は雪の如し

白楽天の「村夜」。店名はきっと、これに由来するのだとおもう。
月あかりのした、群青のせかいで蕎麦花がうかびあがるところを、いつかみてみたい。

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花の下には、すでに実がなりかけていました。
寒暖差のおおきい土地では、10月下旬には新蕎麦になることをおもうと、いかに早く結実するかがわかります。


そしてともがらから、この季節に欠かせない、大喜びの差し入れが。

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道中ずっと、蔓をみつけては凝視していたものの、今秋はどうやら不作のもようで、ちょっと肩を落としかけていた。
どうやら、あるところにはたくさんなっていて、ないところにはちっともならない、そんな状況のよう。

そしてまたまた栗も!
横7センチくらいのものまであって、びっくりするくらい大きい。そして分厚い!

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秋の味覚は、いのちのはじまりを宿している。


里山でうまれた、iaiの服。
ともがらのあたたかなこころづくし、あたかも待ってくれていたかのような草花、樹々。
これからいっしょにゆくための、これ以上ない、袖とおしの式。


あるべきように。
その服と、秋と。
ともに歩いてゆけますように。



糸の祈り



1ヶ月ぶりに、蕎麦を打ちました。
もう1年近くまえに収穫された蕎麦だし、製粉からも1ヶ月以上経っている。
そうおもって、加水を多めに。

蕎麦打ちそのものはたぶん、淡々とできたのだけれど、仕上げで気を抜いてしまった。
そこをともがらは見逃しません。
「うーん、なにか、いつもみたいな芯のきりっとした感じがたりないなあ」

図星すぎる……
けさ連発でくしゃみをしていたから、朝晩の涼しさで風邪ぎみなのかも、と早合点して、最後に氷水にくぐらせるのをやめたのです。
さらには、ちょっと茹ですぎた…
水と蕎麦粉のみ、という究極のシンプルさでできている蕎麦だから、手をはぶくとてきめんにあらわれます。

とはいえ、それでも二王子山麓の蕎麦粉だから、やっぱりすごく美味しい。
素材のちからに助けられました。

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そして先週おみやげにもってきてくれた、寝ぼけまなこみたいだった辛夷、朱色の実がだんだんこぼれ落ちそうになってきました。けれども、ぽろっと落ちない。
なんでだろう? とのぞきこむと…
なんと、殻と実とが、へその緒みたいに、糸でつながれていたのです。

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なんだか胸がいっぱいになってしまった。
この糸が放たれたとき、実は殻をはなれ、旅立つのです。
それは、風にのったとき、雨にうたれたとき、別のちからがはたらいたときなんだろうか。
この糸のなかに、辛夷の祈りが凝縮されているーーそんな気がしてなりません。


そして今週は、ともがらからのオーダーのシルバーと、あたらしいものを二つ、作っていました。
先だっての樹皮やブナの実を象ったものをおもうと、あたらしいのは、とってもささやかなサイズ。

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直径1センチくらいでしょうか。
このささやかなフィールドのなかに、線で息吹を、とおもった。

ともがらからのリクエストのシルバーは、また手から手にわたるもの。
やわらかな流線型のかたちが、うまれました。

ごつごつした重厚なかたちも、ささやかで繊細なかたちや線も、大好きなモチーフです。
だれでもきっと、その両面をもっている。
その場その場で、あらわれでるものが交代しているだけで。





からだからもらう時間


きょうはもうひとつ。

シルバーを手渡した翌日は、3ヶ月ぶりに右手首の診察で、東大病院に行ってきました。
骨折は無縁坂を走り降りていたときで、昨年9月7日、手術は9月22日だったでしょうか。もう1年になるなんて。

大学構内だから樹々がたくさんあるし、上野から行けば不忍池の蓮池を見られるし、ありがたいことに行くのがまったく苦になりません。
むしろたのしみなほどで、我ながらちょっとおかしくなります。

術後3ヶ月くらいだったか、手の甲側の手首の筋肉、あるいは筋のあたりにいたみが出はじめて、定期診察のたび話していました。
このところ少し痛みが増したような気がして、今回もそう話してエコーで見ていただいたところ、手首に埋め込んだ釘が筋にふれているのがわかったのです。
プレートを抜くのは日帰り手術でやっているから、その方向で検討しましょうか、ということになり、次回の診察は10月初めに。

かの無縁坂をゆっくりと降り、不忍池のほとりを歩きながら、まだここを何度か往来しそうだなあ、などとぼんやりおもっていました。
父の入院、10年前と昨年のじぶんの入院、数え切れないほどここを通ってきたけれど、見あきることがない。
もう花は終わり、実の殻と葉が残っています。

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空を仰ぐ実の殻たちを、幾度もたちどまり眺めながら、帰宅しました。

そして夜、病院から電話がかかってきてびっくり。
担当のお医者さまからで、カンファレンスで話し合ったところ、早く手術したほうがいいということになったのです、とのお話でした。どうやら、このまま置いておくと、筋が切れたり傷んだりしてしまうかららしい。
手術の予約が1ヶ月先まで埋まっているそうで、とりあえず5週間後に入れていただきました。

そしてわたしの場合は、1年前の手術で入れたネジ頭の溝が、すり減ってつるつるになくなったという経緯などもあり、部分麻酔ではなく、入院して全身麻酔での手術になる、とのお話も。
道具もそろえてくださるらしい。
ちょっと興味が……
つるつるになっているネジを、どうやってとるんだろう……
くわしくは、10月初めの診察でうかがってこようとおもいます。
蓮の、文字どおり土に還ってゆくようすが、今年もみられそう。

また手術ということ自体には、慣れてきたというのもなんだけれど、そうおどろきはしなかった。
むしろ見るべきは。
これは、このことはいったい、わたしに何を伝えたがっているんだろう? ということ。
先月末に行ったワークショップ。
ともがらとの海辺での会話。
いつも支えてくれているともがらのことば。
それらみんなにつながっているのは、ただひとつ、「いまのわたし」がたいせつにできていないものにほかならない。
あらためて、見つめなさい。そういう時間をもらったのかもしれない。
じぶんのからだから。


きょういただいた、いとおしいものたちです。
ともがらが、郷里から送られたみょうがを、酢漬けにしてくれた。
山椒と鷹の爪が入って、それはそれはエネルギッシュ。食べたとたんに、からだが反応したのにはびっくり。
そして色味がほんとうに美しいのです。酢液にみょうがのほの赤い色が染みだして。

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右は、辛夷の実。
夏に緑の実を見たけれど、こんな朱の実が顔を出しているのは初めてみた。
ねぼけまなこみたいで、とってもかわいらしい。
少しうれいをふくんだ朱色で、ひかえめなつや。
栗の殻も、ひらいてきました。

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今年は少ない、山法師の実。
ドアを開けるなり、ともがらがシルバーのヒントをたくさんくれました。

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先週のお土産、マロニエの実の殻が、少しずつひらきはじめました。
これも、リクエストされている大ぶりのピアスを象るのに、つかわせてもらおうとおもっています。

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しぜんの奥にながれる、ひそやかなことわりに、
ふれられたとき。
寄り添えたと感じられたとき。
わたしにとってのしあわせは、そんなところにこそある。



手から手につながる



7月にオーダーしてくれたともがらに、ようやく、ようやく、シルバーを手渡すことができました。
台風のいったあと、樹々にたくさん会える場所で。

おおきなおおきなイチョウの樹の下には、果実がいっぱい落ちていた。

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おもえば、果実をみたのは初めて。かわいらしいベビーピンクで、見た目はまるで桜桃みたい。
まだ踏まれていないから独特のかおりもほとんどしなくて、しばらく見入っていました。

あまりに気ままな伸びように、おどろいた。
となりの樹木との間隔があるせいか、とにかく自由。
ほんとにこれが、あのソメイヨシノ? おもわず声がでる。

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地に付くほどに伸びる枝。
枝はほんとうは、根に向かいたいんだろうか。


ともがらにもらっていたイメージから、樹皮を象ることにしたものの、かなり実験的な制作になりました。
だから、もうふたつ、もっとごつごつ度の高い樹皮と、ブナの実の殻も、並行してつくってみた。

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右が樹皮。天地・左右ともに、40ミリくらいあります。厚みもかなりとってつくったうえに、少しいぶしを入れたから、ずいぶん凄みがでてしまったけれど、これが似合いそうな顔がひとりふたり、うかんできます。
左はブナの実の殻。これも薄くつくってしまうと繊細になりすぎるから、少し厚めに。この殻たちも、ブナの森を支えている。

ともがらにつくらせてもらったシルバーは、手から手につながってゆくから、ここに載せることはできないけれど、わたしにとってとてもたいせつな一点になりました。
いのちをいただいて象る、その一歩先をかいま見させてもらえた気がします。
機会のプレゼント。ほんとうにありがとう。

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次は、そのあとにオーダーくださったともがらへのシルバーに、とりかかります。
こちらは、風のような流線型に、したいとおもっています。



おおきな栗の樹のしたで



きのうもきょうも、雨のそぼふるなか、とてもおだやかなすばらしい日。

昨日は、湘南にすむともがらといっしょに、ゆっくりしゃべりたいよね!ということで、海辺のイタリアンへ。見下ろせばもう海、そんなロケーションのレストランはなかなかありません。

鈍色にけぶりながら、はるかにひらけている海。
文字どおり心のこめられた、美味しいお料理。
お店の方のやわらかな、しあわせな笑顔の応対。

そんなものたちに包まれながら、ともがらの生きてきたさまざまな流れを聞いていました。
そこには、じぶんのかつてとも重なりあうことがたびたびあって、そこをいっしょに掘っていくような感覚になった。

そして、このところいっそう困憊しているわたしの話をゆっくりと聞いてくれました。
すると、仕事ではなくプライベートで、以前も似たような構造のなかで深くなやんだことがあったとおもいあたったのです。
ほんとうに苦しいのなら、そこからすぐに去ったほうがよいときがあると、わたしはおもっています。
以前の選択と結果的には同じになるのかもしれなくても、そのまえに向き合わなければいけないテーマがあるのではないか。
いまこの状況から教えられているのはなにか…それが見えてくればきっと、とびらをひらく手がかりになるはず。

結局6時間も話していたのに、つかれはまったくなくて、むしろ瞑想したあとのようなおだやかな、ゆったりとした感覚になりました。
これまで果たして、こんなことがあっただろうか。
ありがとう、ほんとうにありがとう。


そしてきょうは、ともがらが季節の差し入れをもってきてくれた。
これです。

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直径8センチくらいでしょうか、大きなおおきな、くり坊主!
天然のニスで、つやっつやした栗。もう大コーフン。
はちきれそうにぱんぱん。
これがあの栗の木になるのだから、いったいどれだけのエネルギーをこのなかに秘めているのか。

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ごめんね、ありがとう、といったのちに茹でて、いただきました。
ほくほくして甘くて、あまい香りがたちのぼって、それはそれは美味しい。

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栗のイガは針のようで、やすやすと手で持てないくらいにとがっています。
そのことから、ふと、おもいだしたのです。
春に出かけた雪の里山の、カタクリの花を。

カタクリの群生が、それはそれはきらきらと、うたうように花咲かせていたのを、地面にはいつくばるようにして眺めていたときです。
イタッ!
ひざに激痛がはしり、とびのくと、刺していたのは、昨秋に落とされた栗のイガでした。
見上げたら、栗の木がいた。

その後、宿のおじいさんにともがらが「あそこはカタクリが毎年たくさん咲いていますよね」と話したら、「ああ、あそこに栗の木あっからね」というのです。
「栗の木の下には、カタクリいっぱい育つのさ。栗のイガ、ネズミはきらいだから、栗の木んとこ寄りつかね。カタクリは、そこにいれば根っこかじられなくてすむべ?」

春に宿のおじいさんからきいたこの話を、ともがらがおもいだしてくれたのだけれど、あらためて驚きました。
カタクリの花、とわたしたちが何気なく口にしている名前は、片栗。
「片栗」をさっと検索しても、おじいさんの教えてくれたような知恵には、行き当たらないのです。

昨秋に出かけた里で出会った方から聞いた、「苔の生えてるとこの水は、のめるんだ」。
そしてこの、片栗の自生のいわれ。
この地に足をつけ共存してきたひとにだけ、しぜんが明かしてくれる、ひみつ。

それをやすやすと、なんということもなしに開いてくれたんだーー
春の旅がいまになって余韻をはこんできてくれた。
季節はいやおうなし流れてゆくけれど、ここでかいま見えるいのちの変化が、不意に、かつてといまとを共振させる瞬間がある。

真っ白なひげをたくわえ、珠のような目で話す、里のおじいさんの表情がまなうらにうかびます。
次回はもっともっと、お話しを聞こう。



ともに風に吹かれてゆく



服はいつも、わたしにとって、ことばだった。
属性や年齢や、そんなものをかるくこえて、
意識せずともそれを手に取る、そのおこないが
みずからとせかいとの、よすがあるいは接点となり。

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あえてそうしているわけではないけれど、
かわった服を着てるね、といわれることが少なくなかった。
わたしは、個性のつよいほうではまったくないとおもう。
それでもひかれるもの、択ぶものはいつもどこか、
枠にはまらない、とても自由な、
かたちをしていた。

もう15年以上もまえに手許にやってきてくれた、
yohji yamamotoのギャザーたっぷりのマキシ丈スカート。
それがこれまで、随一の、文字通りの愛着だった。

それに比するくらいのものに、きょう出会った。
yohji yamamotoのそれが、すこしばかり色が褪せようとも
ともに歩きつづけているように、
この一枚も、ずっとずっと、どこにいようとも
ともに風に吹かれてゆくのだとおもう。

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渋柿と鉄でむらに染められた、厚手のシルク。
それを初めてこころみた一枚なんです、
パートナーとおぼしき、澄んだ表情のひとがおしえてくれた。
箔押しされたネームのうつくしいタグには、手書きで
363
と書かれていた。

こちらを、と差し出したとき、
試着されましたか、とつくり手のまっすぐなひとみにたずねられて、
はっとした。
そういえば、鏡では当ててみたけれど、試着もしていない。
けれどももう、これだとおもった。
でも、だいじょうぶそうですね。
使ううちに、色が濃くなってくるとおもいます、それもたのしんで。
せかいに一点だけの、一枚を。

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この服は、iaiのもの。
京都の里山で服作りをされていて、首都圏で見られる機会はとても少ない。
たまたま知ったイベント、TRACING THR ROOTSに出展されると目にして、
かならず行こうとおもっていた。

ROOTS。
ほかにも、暮らしにまつわるすばらしいものたちと出会えた。
ああ、こんなふうに。
芯をもち、水平軸の揺れにたゆたいながら
一歩一歩をすすめられたら。



待つ風




  海原の
  くじらよろしく
  とびたつ鳥の大群は
  ただに
  ひとつの生命体だ

  つばさ織りなす
  すべてのはねが
  はためいて ほら 
  およいでゆく
  空にかがやく
  円環を

  そこでは
  ふわり生まれる
  ゆらめきも
  微細な粒子の
  落下でさえも
  ことごとく
  映しとられて

  あるからこその
  反射で
  せかいは
  つくられていて
  おおきいも
  ちいさいも
  あまねくすでに
  印されているから

  さあ 立って
  風のとおりみちに

  そうしたら
  耳を、みみを、
  ぴんと
  すませておきなさい


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つながる、の断片


 
今週末は、断片たちがつながるようなふしぎな時間が、凝縮されていました。

まず、ともがらから不意にわたしの手許にやってきてくれたのが、加島祥造さんのこの2冊。
『TAO 老子』
『タオにつながる』
というのも、先週仕事の関係で老子の名にふれていて、「ちょっとおもしろそうだ」とともがらに話したら、なんと同じ本を、しかも単行本で2冊ずつもっているというではありませんか。
捨てられないし、でもわたしに渡しても読みそうにないし、とずいぶん前におもっていた、と。
これはいまこそわたしの手許にきてくれることになっていたのかも…なんて、ずうずうしくもおもいました。

そしてきょうでかけたあるワークショップは、9名ほどがあつまったのだけれど、全員初対面の方だというのにどこかしらなにかしら、つながりを感じました。

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しぜんなしずけさにみちる空間で受けた、お話のかずかず。
やはりそこにいきつくのか…と、深く感じた。
おもいこんで染みついてしまっている、せかいとのある向きあいかたを、手放す必要があるのだと。
うつくしい空間というのは、ほこりひとつなく掃除されているのでも、華やかなのでもシンプルに徹するのでもないのだとおもった。
じぶんのひかれるものを、ただありのままに置いている、それだけで風の通りみちがうまれるのだということ。

蝶が入ってきたりも。

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展示されていた、シュタイナーへのオマージュを象ったちいさなちいさな作品を、購入してきました。
わたしがシルバーでやりたいのは、こういうことなのだとおもう。


ともがらからイメージをあずかっていたシルバーのオーダーに、いよいよ取りかかります。
せかいとの接点の、ちからを借りようとおもっています。



季節はたしかに、うごいている



ほんとうにほんとうに、ひさしぶりに……
蕎麦粉を取り寄せました。
ここ数年来お気に入りの、新潟県二王子山麓で有機栽培されたもの。

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何年かまえに、有機栽培の蕎麦粉はないものだろうかと探していたところ、出会いました。
さっそく取り寄せをお願いして、打ってみたとたん、そのすなおさに魅了されてしまったのです。

打つのは、手首を昨年9月に骨折して以来。
粉をあけたときには、季節柄もあるとおもうけれど、香りはあまりつよくはない印象。

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水をまわし、水分がいきわたると、ふわりとたちのぼります。

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あいだがあくと、包丁がいちばんぎこちなくなるなあ。
刃渡りの長い蕎麦包丁が、目下のいちばんほしいもの……

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ともがらに供します。

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とてもうれしい感想をいただけました。
 ふわりとやって来る食感、味覚!
 ふるさとに包まれている感じ
 やわらかで懐かしい
 腕はいささかも落ちてないね


なんでこんなに蕎麦が好きなのかなあ。
食感も味も香りも、すべてにひかれるのはもちろんだけれど、
蕎麦と水のみ
という究極のシンプルな組みあわせのなかに、無限にひろがるせかいがあるから、なのかもしれません。

そしてどこか、打つこちらが使われてるような感覚があるのです。
わたしは計量をいっさいせずに、粉も水も目分量で打ちます。
そのほうが、時宜にかなった蕎麦ができてくるんですね。
蕎麦粉が教えてくれるから、その手ざわりや香りにたずねながら、水を足していく。
蕎麦粉といっしょに蕎麦を打っている、みたいなたのしさがある。


蕎麦を持って、実家にも帰ってきました。
父の頸椎骨折は、ようやく首のコルセットがとれて、一歩前進。
「首振り三年、コロ八年」といわれる尺八演奏は、まだおあずけだそうで、ちょっとかわいそうだけれど、それもきっともう間もなくでしょう。

母の腰椎圧迫骨折も、少しずつ一歩一歩。
胸から腰骨までカバーしているコルセットを、あと2ヶ月はつけるらしい。
制限はさまざまにある。
けれども、そのなかでもできること、すべきこと、たのしめることは無限にあるから。
どうかそちらに目を向けて。
そして、望みすべてに応じるのが、最善ではないから。
心配は、しないことにしています。

両親と散歩しているときに、初対面の実をみつけました。
低木になっていたのが、きのうの雷雨で地面に落とされたのでしょう。
すごくかわいらしい。なんだろう。

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そして都内の住処に戻ってきたら、山法師の実がいくつか落ちていました。

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もうなってるんだ! とおもい、樹を見上げたのだけれど、あまり実のすがたが見えない。
ともがらに聞けば、どうやら今年はあまりなっていないらしい。

それでも。
季節はたしかにうごいていて、このめぐりあわせは二度とない。
いつだって。
日の翳りが、はやくなってきました。




深奥へひきこむ水平軸



2日から5日間ほど、帰るかのように毎年たずねる、山峡へでかけてきました。
いまもその静かな余韻が、みぞおちのあたりにある。
なんどいこうと汲めども尽きせぬ泉がここにはあって、舞い降りてくる言葉でないことばを、ただただ受けとる、そんな時間を過ごしてきました。

そして先週月曜から木曜はいつものように職場で仕事をしていたのだけれど、水曜にとつぜん、これまで体験したことのないような体調にみまわれました。
旅のあいだに感じていたものとそれとは、ひとつづきにあるような気がしています。

今回は、ともがらからいただいているある問いかけ、それはこれからシルバーで象っていくのだけれど、これがはからずもじぶんとも重なって、通奏低音のようにありました。

そんなわたしがひかれてしかたがなかったのは、せかいとの接点。

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これはねむの花。
旅をともにしているともがらのひとこと、「ねむの花だよ」から道中ずっと、ふりむけばこの綿毛のような花がいた。

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あまりにか細いこの一本一本すらも、せかいとの接点。


深奥へとひきこむのは、森の水平軸の揺れだとおもう。

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あしもとから見あげられるも、どちらがうえか、わからなくなる瞬間

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夏の旅



かすかに日矢のさす

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草いきれのよびごえ

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ささやく山野

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どのようにでも

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使命のまえに

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藍染めの会とセミのあな



先週日曜に行った、藍染めの会のことを。
最終回で、この時間帯の参加者はわたしともう一方だけ。
とってもぜいたくにゆっくりと、染めを体験させていただきました。

今回はインドからきた藍で染めたのだけど、日本の藍は、蓼藍という植物から染めるのだそう。
これです。

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15年以上も愛用して色あせた、ほとんど黒に近い濃紺の、yohji yamamotoのロングフレアスカート。
そして、長年使ってきた絹麻の、薄い紺色のストール。
この二枚を染めなおすことに。

染めている写真は撮りようがなく、残念ながら一枚もないのだけれど、こちらのサイトでようすがよくわかります。

藍の染め液は、黄色っぽい色をしていました。
そこでしばらく布を泳がしたり、伸ばしたり、軽く揉んだり。
手にはしていても、布の在所も色の変化もよく見えません。
水面に浮いている藍色の泡(藍の花というのだそう)のしたで、色が布をいだいていく。それを、ただただ想像しながら手で感じてゆくだけ。

その後空気中にひきあげると、酸化によって、黄のような色が藍色に変化していきます。
ギャザーやポケット部分もひきだし、布全体を空気にふれさせて酸化をうながします。

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これを2回繰り返して、水洗いしたのち、持って帰りました。
乾かして翌朝みたら、愛用されすぎてちょっとくたびれていた布が、文字通り再生したかのように。

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ご一緒したもう一方は、白いシャツを染めておられました。
彼女もきっといまごろ、その二枚と出会いなおしているんだろうな。

生活をともにする布は、使っているうちにどうしても色あせたり汚れたりするもの。
けれども、こんなふうに天然の色をのせてあげたら、息をふきかえしてくれるのですね。

それにしても、なんともいえない、息遣いを感じるような藍色。
スカートはほとんど黒に近いほどの濃さだったのに、意外なくらいに明るく染まって。
ストールは逆に濃紺になり、艶さえあらわれてきました。

藍は、天然素材にだけ染まるのだそう。
今回色をいただいたインド藍は、それこそ紀元前から使われてきたのだとうかがいました。
いったいどんな手を経て見いだされたんだろう……
たいせつなことはみんな、すでにせかいに印されているんだ。


先日、仕事帰りに部屋のまえの公園までたどりついたとき、まだ殻のままのセミが、よちよちと石畳を歩いているのに出会いました。
羽化はみたことがあるのだけれど、土からでてきたばかりのセミをみるのは初めて。

永年のかぐわしいねむりをうちすてて、
でてきちゃったんだ
楽園じゃないと知りぬいているはずのここに

しゃがんでしばらく、じっとみつめていました。

そしてきょう。
その付近で、こんなものをみつけたのです。

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ともがらに聞いたら、これはまぎれもなく、セミがでてきた穴だといいます。
この下でくうくうねむっていたのだとおもうと、がぜん、またみたい気持ちがむくむくと…
夕暮れに土からでてくるらしい。
明日のそのころまた、この樹の下に行ってみよう。


近しいところにこそ、せかいはふかくひろがって



昨日はkuutamoさんのイベント、pieni toriに出展してきました。
28日まで置かせていただいているシルバーたちとも、納品日以来のご対面です。

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着いたらまず、うれしすぎるおどろきがふたつも。
店主のY子さんから、お手紙をあずかっているよとうかがってはいたのだけれど、2通だなんて。

1通は、気の引きしまるような、おもいもかけなかったご依頼。
イメージをていねいにたどれるようなしつらえまでも、ご用意してくださっていて。少し時間をかけて、描いてゆこうとおもっています。
もう1通は、まだ1度しかお会いしていないにもかかわらず、どこかつながっているようなおもいを抱いていた方から。
その方も同じように感じてくださっていたそうで、とてもうれしかった。
大好きな木の実、無患子が同封されていたのには、開封したとたん胸がいっぱいになりました。

pieni toriの日時が合わないからと、暑い中別の日にでかけてくれたともがらも。妹さんへのプレゼントにしたいと、とてもうれしい依頼をいただけたりもして。
そしてお店にいくいかないとは別に、ふだんをともにしてくれるたいせつなともがらの存在も、いつも支えてくれている。

わたしのしていることはほんとうにちいさな範囲のなかだけれど。
そのささやかなシルバーが、受けとってくれたそのひとだけのことばになれますように。
手放した瞬間から、ただそれだけをおもいます。

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pieni toriでご一緒したお三方のうち、お二方の写真を撮らせていただきました。

satoさん。紅茶で絵を描いておられます。
かわいらしいなかに、どこか芯を感じさせられます。

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消しゴムはんこのアトリエむぎばたけさん。
中央左のメジェドというのは、エジプト神話にでてくるのだそう。
この目と姿、いちどみたら忘れられない。すごく気になります…

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手作り市だから、お店のとびらを開け放っていたので、ほんとうに暑かった!
そこで、これです…
奥にある大きなビンにはフルーツが氷砂糖で漬けてあり、ソーダ割りにして飲むとフルーツのエキスをぎゅっと感じられて、つかれがふきとびそうに美味しい。

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暑かったこともあって人通りも少なめだったけれど、そのぶんみなさんといろんなお話ができました。
ふだん出られている市のこと、好きなもののこと、やってみたことなどなど…
つくっているものやテイストはぜんぜん異なるのに、なぜかわかりあえる部分がある。
よりよいものをという一点がみんなおなじだから、そうだよね!となるのかもしれません。


そして18時をすぎて、そろそろ片付けを始めよう…となったところで、サプライズが。
幼ななじみの彼が、千葉から駆けつけてくれたのです。
知らせていたわけではありません。
たまたま先週、ひさしぶりに見たSNSで出てきて知ったんだ、というではありませんか。
わたしは明るく元気!とタイプでもなければ友人が多いのでもなく、SNSは正直苦手なのだけれど、少しは出してみようか…と、今回はやってみた。
その甲斐がこんなところにあるとはおもいませんでした。
4年ぶりくらいでしょうか。元気そうな笑顔に会えて、ほんとうにうれしかった。

近しいところにこそ、せかいはふかくひろがっていて、よろこびとおどろきにみちてるーー
そんなことを昨日は、一身にあまりあるほど感じる一日となりました。
そう、遠くにまでとどかせようとなんて、しなくていいんだ。

kuutamoのY子さん、satoさん、アトリエむぎばたけさん、rain dropさん。
そしていらしてくださったみなさん。
応援してくださっているたいせつなともがらたち。
ほんとうに、感謝でいっぱい。
ありがとう。

シルバーの展示販売は、28日(金)まで開催しています⭐︎


きょうは藍染のワークショップに行き、とってもすばらしい色に出会えたのだけれど、ちょっと力つきたので、それはまたあらためて…



あるからこそ、あまねく照らされている



とけてしまいそうな気温がつづいています。
この連休は、暑気のあいまをくぐりぬけながら、22日(土)のkuutamoさんでのセミオーダーメイド受注会準備をはじめ、美術展や個展に足をはこび、そして髪を切ったり実家へ行ったりへと。

新国立美術館で開催中のジャコメッティは、15年以上も前に携わっていたある文学賞の仕事で知り、関心をいだいていた彫刻家でした。
前売券も買っておいたし、混みはじめるまえに早めに行かなくちゃと、いそいそと。
細長い像で知られているけれど、実物を目の前にしたら、像の足にばかり、ひかれていました。
腕をからだの側部にそろえて脚もそろえて、まるで「気をつけ」のように立ち、少し首をもたげるようなかっこうをしている像のどれもが、じつはとてもしっかりとした足部をもち、そのうらをぴたりと地につけている。
その表情は、なにかを敬しているかのようでした。

天に向かっているのか、のびずにおれない像。
そこをまなざしながらも、地としっかと結びついている。

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最後の一室では、写真撮影が許可されていました。
そのひとつに、ひとの歩いている像があった。

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この像も、これほどまで、とおもうほど地と分かちがたく結びついていました。
上がっているかかとまでも。

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展示室内に貼られていた、ジャコメッティのものであろうテキスト。

  私とモデルの間にある距離はたえず増大する傾向をもっている
  ものに近づけば近づくほど、ものが遠ざかる

  ひとつの顔を私に見える通りに彫刻し、
  描き、あるいはデッサンすることが、
  私には到底不可能だということを私は知っています。
  にもかかわらず、これこそが私が試みている唯一のことなのです。

  世界は日毎ますます私を驚かせる。
  世界は一層広大で、すばらしく、一層把握しがたく、一層美しくなった。

  ひとつの彫刻はひとつのオブジェではない。
  それはひとつの問いかけであり、質問であり、答えである。
  それは完成されることもあり得ず、完全でもあり得ない。

  そんなものはみな大したことではない。
  絵画も、彫刻も、デッサンも、文章も、はたまた文学も、
  そんなものはみなそれぞれ意味があってもそれ以上のものでない。
  試みること、それがすべてだ。おお、何たる不思議の技か。

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今回わたしは、この場で、共振するところまではいけませんでした。
けれども、ひとつおもったこと。
上の三つめのことばからすぐおもいだしたのは、大好きな美術作家、鴻池朋子さんの絵本『みみお』に記されているこの一文。

 世界はいつも密やかで すばらしく 謎につつまれている

これはほんとうにとてつもないことだ、とおもうのです。
謎を謎のままに、かかえて歩きつづけること。
そしてその謎のなかに、果たしてどれだけ、とびこんでゆけるか。


その足で、ともがらが急ぎ知らせてくれた、川内倫子の個展へ。
会場である銀座の森岡書店へ行くのは2度め。
あの狭い空間で、どんなひろがりがみられるんだろうと、向かうあいだからたのしみに。
間口2メートルほどではないかとおもわれるそこに、6点の写真が展示されていました。

くじらよろしくとびたつ鳥たちの大群は、まるでひとつの生命体
ひかりの円環にある鳥は、つばさの羽いちまいいちまいを
はばたかせて空をおよぎ

ふわりゆらめききらめく粒子でさえも、
ぜんぶ、ものなんだ、とおもった。
そして、あまねく照らされている。
ものがあってこその反射。

先月の由良環さんの個展でもおもったけれど、映されているものがせかいと織りなす瞬間が、見るものに映ってきたら、映されているそのものが何であるかはあまりおおきなことではなくなってくる。
そんな感覚は、いつでも胸をひらいてくれるし、わたしにとって見ることのなによりの意味だと、あらためて感じさせてくれました。


昨年春以来、実家ではほんとうにいろいろなことがつづいているのだけれど、先月母が痛めた腰が、腰椎圧迫骨折だったことがわかりました。
痛みのピークは越えているから、いまは一歩一歩、全身と心持ちとを、大切にしていく。母もそれはわかっている。けれども気持ちを立てていくのに、たいへんなようすが伝わってきます。

日々のなかで「気をつける」ことはあるていどできても、出来事をコントロールはできない。
だからこそ、きたものにどう応じていくか。そしてそこから聞こえてくること。
だいじなのはきっと、ただそれだけ。
わたしも、2年前に習いはじめて中途のままになっている療法を、再開したいとおもっています。



ちいさな冒険



22日(土)13時より、純銀のペンダント、ピアスの、セミオーダー受注会です✨

好きなものを選ぶ、のもすてきだけれど、それだけでは出会えないものもあるようにおもいます。
ふだんの好みをちょっとだけこえて、なんだか気になる、というものにふれること。

そんなちいさな冒険。
あなたから出てくることばとシルバーをよすがに、出かけてみませんか?

中村橋のカフェkuutamoさんにて、お待ちしています☆

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朝の収穫



今朝の欅たち。
ヨガと瞑想をして顔を上げたら、微風にゆれて、葉のさざなみの音が。

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目の前に樹々がいてくれるーー
いまここに住んでいるのは、何にも代えがたいこのよろこびのためです。

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気になりながらも水をあげるだけで放りっぱなしにしていたプランターを、おそるおそるかきわけました。
するとこんなものが見つかったのです。

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ルッコラが種を結んでいました!

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植えていたのはルッコラとにんじんだけだったはず…
にんじんはまだ育っているから種はできない。
とすると、この2種類に見える莢はいったい、ルッコラとなに?

下のはまちがいなくルッコラのようだけれど、上の丸っこいのがわからない。
ひとつ割ってみたら、ふわっとしたスポンジのような莢に、茶色の種ができていました。
上下では種の大きさもちがう。不思議です…
蒔いて育てたら、なにが出てくるだろう? とてもたのしみ。


このところの湿気と暑さで、部屋に花を生けていても、たちどころにしんなりといたんでしまうので、そうだとおもいたったのがこれ。
せっかく土のある公園のまえに住んでいるのだから。

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いま時期にのびている野草は、暑さや湿気を日常に生きているから、そうかんたんにへばりません。そしてなぜか、風までいっしょに連れてきたかのように、すずしげでもある。
野草の佇まいの、端正なのにはいつもおどろかされます。
なんでもないガラスに挿すだけで、それぞれがそれぞれにあるだけで、立ち上がってくる空気がある。

植物たちとたわむれた朝。
ちいさなひとつひとつから、ことばを受け取れる。
ありがとう、ってこころからつぶやいている。
こんな時間、いちばん好きだなあ。


そして今週は、とってもうれしい出来事がふたつも。
4日からkuutamoさんで、シルバーの展示販売がはじまったこと。
もうひとつは、北陸に住む友人が、退院からまだ10日しか経っていないというのに上京したから、顔を見られたこと。ごはんをしっかと食べるすがたを見られたこと。

先月から「この日に行くぞ」と決めていたらしく、もらった手紙にもそう書いてはあったけれど、さすがに7月初めはねえ、とおもっていたわたし。それが、眼差したものに向かってずんずんとすすんで、やってきた。
すごい! もうびっくりです。
とても淡々としてみえるひとなのだけど、このパワーにはもうただただ脱帽。
わたしもあやからなくては!


月灯りのシルバー、はじまります



月灯り、という名のお店。
ことしの10月で開店2年になるkuutamoさんで、3度目の展示販売をさせていただきます。
7月4日(火)から28日(金)まで、asanokaorianのシルバーアクセサリーをごらんいただけます。

きのうの夕方がその納品だったものから、朝から準備を。
ようやく持参できたのは18時、店主のY子さんをお待たせしてしまいました。

それから、Y子さんの企画でコラボ展示をさせていただくことになった、アロマサロンラポールさんのアロマ石けんとともに、ディスプレイ作業を。
アロマ石けんは、透明感があり、あざやかなのに深みのある、とても美しい色合い。石のようなかたちもあれば、円柱のかたちも。
石のようなかたちのせっけんは、本たちといっしょに。

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キャビネット内のディスプレイ。
折々変化はあるとおもうけれど、まずはこんな雰囲気で、スタートです。

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そして、22日(土)13:00−18:00に、セミオーダーメイドの受注会をさせていただきます。

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さまざまな作り手さんといっしょに、pieni toriというイベントで。

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その方のもつことばのかけら、かたちを、いっしょに見つけていけたらいいなとおもっています。

つぎはこの日のこと、銀のひかりをお届けするよすがを考えていきます。
しつらえてくださるY子さん、みなさんに感謝しながら、ひとつひとつ、一歩ずつ、いいものにしていけたら。

手首の術後9ヶ月の診察で先日、腱鞘炎の気配を指摘されたものの、しばらくごぶさたしている蕎麦を時間を見つけて打ってもみたいし、やりたいことはたくさん。

あれこれと奔走するばかりでなく、じぶんに都合を聞いてあげることがほんとうはいちばん大切なのではないかと、このところおもっています。
じぶんとの約束のために、予定をあけておく。それがいまわたしには、とても必要になっている気がするのです。



からだのはらむことば



ふつうに過ごしているよりもおどっている姿のほうに、よりつよくことばが浮かびあがるのはなぜだろう。
いろんなときを折りかさね経てきたからだが、ただただその場になげだされているからか。
そこには、どう見せよう、どう語ろう、という意図はいっさいみえない。

春にひきつづき昨日(6月24日)、ソケリッサの踊りを見にいきました。
題して「新人Hソケリッサ!・寺尾紗穂 ライブ&パフォーマンス!!」

まさかの寺尾紗穂さんのライブが冒頭にあり、それからソケリッサの「日々荒野」、そしてメンバーが、自身のえらんだ寺尾さんの曲を、弾き語りとともに踊るーー
もうこれでもかというほどの充実ぶり、ゆさぶられどおしで、あっというまの2時間。

からだは、ほんとうにたくさんの、ことばにならないことばを内包してるんだーー
そのせつなさ、いとおしさを、今回もソケリッサは教えてくれました。
ふだん音をひそめているそれが、踊りはじめるとからだからふつふつと立ち上がってきて、そのひとのものなのにそのひとだけのものじゃない、そんな情景があふれだしてくる。
奥底にねむっていたものが、うごきとともにあらわれでてくる。
じょじょに、そしてなぜだろう、つつましく。

だれひとりとしておなじことばを宿しているひとはいないのに、それらがメンバー同志や寺尾さんのうたと共鳴しあう瞬間が、幾度となく訪れる。見ているわたしのそれもいっしょに鳴りはじめるともう、あふれてくるものをとどめることができませんでした。

この場にいるすべてのひとに「あの日」はある。
いとおしいひと、とんでいきたいほどになつかしい場所、逃げだしたくなるようなおもい。
それが、わたしばかりでない、あの場のひとみんなのなかにふうわりふうわり浮かんでいる、その気配を感じていました。

おもえば、生きてきて、ただしい答えが出たことなどいちどもありませんでした。
ーーあかるい道とくらい道 はざまの小道をすすむんだ
あかるい道をいったつもりがくらい道になっていたことも、幾度もあった。
けれども、月あかりを見つけ足元を照らすことさえできれば、そこははざまの小道になる。そのときどきのほんとうは、きっとそこにこそある。
場で奏でられた「楕円の夢」がくれた、おくりものです。



こんな盛りだくさんの公演が終わった直後さらに、おもいもよらぬうれしい再会がありました。
フラワーエッセンスのワークショップで何度かお会いしていてお顔を知っていた方が、少なく見積もっても100人以上はいたであろうあの会場でわたしを見つけ、声をかけてくださったのです。

ここには寺尾さんを聴きに? とたずねられ、ソケリッサも寺尾さんも大好きでとこたえたら、なんとそこに関わるお仕事をされているのだと。
いまたいせつな、幸せな時期を迎えておられるご様子も、とてもうれしかった。
春につづきソケリッサの公演は、うれしいできごとを連れてきてくれました。ありがとう。



先週20日は、術後9ヶ月目の診察で、3ヶ月ぶりに東大病院へ。
上野にでかけるとかならず立ち寄る、びわ湖長浜観音ハウスさんには、いま西浅井町集福寺の聖観音立像さまがおわします。
たいせつにしているこの地の方が、お貸しくださったほとけさま。

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後ろにまわると、一時、観音さまのまなざしをかりてせかいを見ることができる。すると景色が、その瞬間が、けなげでとてもいとおしいものにおもえてくるのです。

不忍池のまえにたたずむ、タチアオイ。
まるで蓮池をながめているかのような立ち姿。
ここでも、まなざしをかりて。

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蓮の新緑というものがあるのなら、20日はまさにそのときだったのかもしれません。

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もう15年以上も前でしょうか、母がベトナム土産に買ってきたロータスティーのかぐわしいかおり。
あの頃の母の勝気なたたずまいもいっしょにおもいだされる、あのかおりが、あたり一面をふうわりおおっていました。




夏の月あかり



7月から、シルバーの展示販売をさせていただきます。
今度はなんと、オーダーメイド受注会も行なうこととなり…
詳細は近日中に。

あたらしいペンダント、そして初のこころみのピアスの数々を、ともがらが撮影してくれました。

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そして、樹の実の殻をかたどったものもいくつか、出品する予定です。
わたし自身も、マロニエの実の殻をかたどったシルバーがとても気に入っていて、数日に一度はつけています。
つけるたびに、なにか守られるような心地を感じる。

樹の実の殻は、実をはぐくむ役目を終えるといつか根や幹への献身になるという、とても覚悟のすわっている存在です。それなのに目に留まることはあまりない。だからこそ、そのすがたをひかるものに映しとりたいとおもわされるのです。





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プロフィール

Author:麻
美術/仏像/自然/蕎麦/シルバー/
読むことと書くこと/ヨガ...

日々かかわるたいせつなものたちについて、感じることを感じるがままに......

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