麻の香庵 

日々のあわい ことのはポートレート

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季節はたしかに、うごいている



ほんとうにほんとうに、ひさしぶりに……
蕎麦粉を取り寄せました。
ここ数年来お気に入りの、新潟県二王子山麓で有機栽培されたもの。

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何年かまえに、有機栽培の蕎麦粉はないものだろうかと探していたところ、出会いました。
さっそく取り寄せをお願いして、打ってみたとたん、そのすなおさに魅了されてしまったのです。

打つのは、手首を昨年9月に骨折して以来。
粉をあけたときには、季節柄もあるとおもうけれど、香りはあまりつよくはない印象。

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水をまわし、水分がいきわたると、ふわりとたちのぼります。

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あいだがあくと、包丁がいちばんぎこちなくなるなあ。
刃渡りの長い蕎麦包丁が、目下のいちばんほしいもの……

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ともがらに供します。

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とてもうれしい感想をいただけました。
 ふわりとやって来る食感、味覚!
 ふるさとに包まれている感じ
 やわらかで懐かしい
 腕はいささかも落ちてないね


なんでこんなに蕎麦が好きなのかなあ。
食感も味も香りも、すべてにひかれるのはもちろんだけれど、
蕎麦と水のみ
という究極のシンプルな組みあわせのなかに、無限にひろがるせかいがあるから、なのかもしれません。

そしてどこか、打つこちらが使われてるような感覚があるのです。
わたしは計量をいっさいせずに、粉も水も目分量で打ちます。
そのほうが、時宜にかなった蕎麦ができてくるんですね。
蕎麦粉が教えてくれるから、その手ざわりや香りにたずねながら、水を足していく。
蕎麦粉といっしょに蕎麦を打っている、みたいなたのしさがある。


蕎麦を持って、実家にも帰ってきました。
父の頸椎骨折は、ようやく首のコルセットがとれて、一歩前進。
「首振り三年、コロ八年」といわれる尺八演奏は、まだおあずけだそうで、ちょっとかわいそうだけれど、それもきっともう間もなくでしょう。

母の腰椎圧迫骨折も、少しずつ一歩一歩。
胸から腰骨までカバーしているコルセットを、あと2ヶ月はつけるらしい。
制限はさまざまにある。
けれども、そのなかでもできること、すべきこと、たのしめることは無限にあるから。
どうかそちらに目を向けて。
そして、望みすべてに応じるのが、最善ではないから。
心配は、しないことにしています。

両親と散歩しているときに、初対面の実をみつけました。
低木になっていたのが、きのうの雷雨で地面に落とされたのでしょう。
すごくかわいらしい。なんだろう。

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そして都内の住処に戻ってきたら、山法師の実がいくつか落ちていました。

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もうなってるんだ! とおもい、樹を見上げたのだけれど、あまり実のすがたが見えない。
ともがらに聞けば、どうやら今年はあまりなっていないらしい。

それでも。
季節はたしかにうごいていて、このめぐりあわせは二度とない。
いつだって。
日の翳りが、はやくなってきました。




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深奥へひきこむ水平軸



2日から5日間ほど、帰るかのように毎年たずねる、山峡へでかけてきました。
いまもその静かな余韻が、みぞおちのあたりにある。
なんどいこうと汲めども尽きせぬ泉がここにはあって、舞い降りてくる言葉でないことばを、ただただ受けとる、そんな時間を過ごしてきました。

そして先週月曜から木曜はいつものように職場で仕事をしていたのだけれど、水曜にとつぜん、これまで体験したことのないような体調にみまわれました。
旅のあいだに感じていたものとそれとは、ひとつづきにあるような気がしています。

今回は、ともがらからいただいているある問いかけ、それはこれからシルバーで象っていくのだけれど、これがはからずもじぶんとも重なって、通奏低音のようにありました。

そんなわたしがひかれてしかたがなかったのは、せかいとの接点。

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これはねむの花。
旅をともにしているともがらのひとこと、「ねむの花だよ」から道中ずっと、ふりむけばこの綿毛のような花がいた。

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あまりにか細いこの一本一本すらも、せかいとの接点。


深奥へとひきこむのは、森の水平軸の揺れだとおもう。

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あしもとから見あげられるも、どちらがうえか、わからなくなる瞬間

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夏の旅



かすかに日矢のさす

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草いきれのよびごえ

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ささやく山野

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どのようにでも

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使命のまえに

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藍染めの会とセミのあな



先週日曜に行った、藍染めの会のことを。
最終回で、この時間帯の参加者はわたしともう一方だけ。
とってもぜいたくにゆっくりと、染めを体験させていただきました。

今回はインドからきた藍で染めたのだけど、日本の藍は、蓼藍という植物から染めるのだそう。
これです。

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15年以上も愛用して色あせた、ほとんど黒に近い濃紺の、yohji yamamotoのロングフレアスカート。
そして、長年使ってきた絹麻の、薄い紺色のストール。
この二枚を染めなおすことに。

染めている写真は撮りようがなく、残念ながら一枚もないのだけれど、こちらのサイトでようすがよくわかります。

藍の染め液は、黄色っぽい色をしていました。
そこでしばらく布を泳がしたり、伸ばしたり、軽く揉んだり。
手にはしていても、布の在所も色の変化もよく見えません。
水面に浮いている藍色の泡(藍の花というのだそう)のしたで、色が布をいだいていく。それを、ただただ想像しながら手で感じてゆくだけ。

その後空気中にひきあげると、酸化によって、黄のような色が藍色に変化していきます。
ギャザーやポケット部分もひきだし、布全体を空気にふれさせて酸化をうながします。

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これを2回繰り返して、水洗いしたのち、持って帰りました。
乾かして翌朝みたら、愛用されすぎてちょっとくたびれていた布が、文字通り再生したかのように。

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ご一緒したもう一方は、白いシャツを染めておられました。
彼女もきっといまごろ、その二枚と出会いなおしているんだろうな。

生活をともにする布は、使っているうちにどうしても色あせたり汚れたりするもの。
けれども、こんなふうに天然の色をのせてあげたら、息をふきかえしてくれるのですね。

それにしても、なんともいえない、息遣いを感じるような藍色。
スカートはほとんど黒に近いほどの濃さだったのに、意外なくらいに明るく染まって。
ストールは逆に濃紺になり、艶さえあらわれてきました。

藍は、天然素材にだけ染まるのだそう。
今回色をいただいたインド藍は、それこそ紀元前から使われてきたのだとうかがいました。
いったいどんな手を経て見いだされたんだろう……
たいせつなことはみんな、すでにせかいに印されているんだ。


先日、仕事帰りに部屋のまえの公園までたどりついたとき、まだ殻のままのセミが、よちよちと石畳を歩いているのに出会いました。
羽化はみたことがあるのだけれど、土からでてきたばかりのセミをみるのは初めて。

永年のかぐわしいねむりをうちすてて、
でてきちゃったんだ
楽園じゃないと知りぬいているはずのここに

しゃがんでしばらく、じっとみつめていました。

そしてきょう。
その付近で、こんなものをみつけたのです。

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ともがらに聞いたら、これはまぎれもなく、セミがでてきた穴だといいます。
この下でくうくうねむっていたのだとおもうと、がぜん、またみたい気持ちがむくむくと…
夕暮れに土からでてくるらしい。
明日のそのころまた、この樹の下に行ってみよう。


近しいところにこそ、せかいはふかくひろがって



昨日はkuutamoさんのイベント、pieni toriに出展してきました。
28日まで置かせていただいているシルバーたちとも、納品日以来のご対面です。

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着いたらまず、うれしすぎるおどろきがふたつも。
店主のY子さんから、お手紙をあずかっているよとうかがってはいたのだけれど、2通だなんて。

1通は、気の引きしまるような、おもいもかけなかったご依頼。
イメージをていねいにたどれるようなしつらえまでも、ご用意してくださっていて。少し時間をかけて、描いてゆこうとおもっています。
もう1通は、まだ1度しかお会いしていないにもかかわらず、どこかつながっているようなおもいを抱いていた方から。
その方も同じように感じてくださっていたそうで、とてもうれしかった。
大好きな木の実、無患子が同封されていたのには、開封したとたん胸がいっぱいになりました。

pieni toriの日時が合わないからと、暑い中別の日にでかけてくれたともがらも。妹さんへのプレゼントにしたいと、とてもうれしい依頼をいただけたりもして。
そしてお店にいくいかないとは別に、ふだんをともにしてくれるたいせつなともがらの存在も、いつも支えてくれている。

わたしのしていることはほんとうにちいさな範囲のなかだけれど。
そのささやかなシルバーが、受けとってくれたそのひとだけのことばになれますように。
手放した瞬間から、ただそれだけをおもいます。

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pieni toriでご一緒したお三方のうち、お二方の写真を撮らせていただきました。

satoさん。紅茶で絵を描いておられます。
かわいらしいなかに、どこか芯を感じさせられます。

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消しゴムはんこのアトリエむぎばたけさん。
中央左のメジェドというのは、エジプト神話にでてくるのだそう。
この目と姿、いちどみたら忘れられない。すごく気になります…

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手作り市だから、お店のとびらを開け放っていたので、ほんとうに暑かった!
そこで、これです…
奥にある大きなビンにはフルーツが氷砂糖で漬けてあり、ソーダ割りにして飲むとフルーツのエキスをぎゅっと感じられて、つかれがふきとびそうに美味しい。

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暑かったこともあって人通りも少なめだったけれど、そのぶんみなさんといろんなお話ができました。
ふだん出られている市のこと、好きなもののこと、やってみたことなどなど…
つくっているものやテイストはぜんぜん異なるのに、なぜかわかりあえる部分がある。
よりよいものをという一点がみんなおなじだから、そうだよね!となるのかもしれません。


そして18時をすぎて、そろそろ片付けを始めよう…となったところで、サプライズが。
幼ななじみの彼が、千葉から駆けつけてくれたのです。
知らせていたわけではありません。
たまたま先週、ひさしぶりに見たSNSで出てきて知ったんだ、というではありませんか。
わたしは明るく元気!とタイプでもなければ友人が多いのでもなく、SNSは正直苦手なのだけれど、少しは出してみようか…と、今回はやってみた。
その甲斐がこんなところにあるとはおもいませんでした。
4年ぶりくらいでしょうか。元気そうな笑顔に会えて、ほんとうにうれしかった。

近しいところにこそ、せかいはふかくひろがっていて、よろこびとおどろきにみちてるーー
そんなことを昨日は、一身にあまりあるほど感じる一日となりました。
そう、遠くにまでとどかせようとなんて、しなくていいんだ。

kuutamoのY子さん、satoさん、アトリエむぎばたけさん、rain dropさん。
そしていらしてくださったみなさん。
応援してくださっているたいせつなともがらたち。
ほんとうに、感謝でいっぱい。
ありがとう。

シルバーの展示販売は、28日(金)まで開催しています⭐︎


きょうは藍染のワークショップに行き、とってもすばらしい色に出会えたのだけれど、ちょっと力つきたので、それはまたあらためて…



あるからこそ、あまねく照らされている



とけてしまいそうな気温がつづいています。
この連休は、暑気のあいまをくぐりぬけながら、22日(土)のkuutamoさんでのセミオーダーメイド受注会準備をはじめ、美術展や個展に足をはこび、そして髪を切ったり実家へ行ったりへと。

新国立美術館で開催中のジャコメッティは、15年以上も前に携わっていたある文学賞の仕事で知り、関心をいだいていた彫刻家でした。
前売券も買っておいたし、混みはじめるまえに早めに行かなくちゃと、いそいそと。
細長い像で知られているけれど、実物を目の前にしたら、像の足にばかり、ひかれていました。
腕をからだの側部にそろえて脚もそろえて、まるで「気をつけ」のように立ち、少し首をもたげるようなかっこうをしている像のどれもが、じつはとてもしっかりとした足部をもち、そのうらをぴたりと地につけている。
その表情は、なにかを敬しているかのようでした。

天に向かっているのか、のびずにおれない像。
そこをまなざしながらも、地としっかと結びついている。

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最後の一室では、写真撮影が許可されていました。
そのひとつに、ひとの歩いている像があった。

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この像も、これほどまで、とおもうほど地と分かちがたく結びついていました。
上がっているかかとまでも。

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展示室内に貼られていた、ジャコメッティのものであろうテキスト。

  私とモデルの間にある距離はたえず増大する傾向をもっている
  ものに近づけば近づくほど、ものが遠ざかる

  ひとつの顔を私に見える通りに彫刻し、
  描き、あるいはデッサンすることが、
  私には到底不可能だということを私は知っています。
  にもかかわらず、これこそが私が試みている唯一のことなのです。

  世界は日毎ますます私を驚かせる。
  世界は一層広大で、すばらしく、一層把握しがたく、一層美しくなった。

  ひとつの彫刻はひとつのオブジェではない。
  それはひとつの問いかけであり、質問であり、答えである。
  それは完成されることもあり得ず、完全でもあり得ない。

  そんなものはみな大したことではない。
  絵画も、彫刻も、デッサンも、文章も、はたまた文学も、
  そんなものはみなそれぞれ意味があってもそれ以上のものでない。
  試みること、それがすべてだ。おお、何たる不思議の技か。

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今回わたしは、この場で、共振するところまではいけませんでした。
けれども、ひとつおもったこと。
上の三つめのことばからすぐおもいだしたのは、大好きな美術作家、鴻池朋子さんの絵本『みみお』に記されているこの一文。

 世界はいつも密やかで すばらしく 謎につつまれている

これはほんとうにとてつもないことだ、とおもうのです。
謎を謎のままに、かかえて歩きつづけること。
そしてその謎のなかに、果たしてどれだけ、とびこんでゆけるか。


その足で、ともがらが急ぎ知らせてくれた、川内倫子の個展へ。
会場である銀座の森岡書店へ行くのは2度め。
あの狭い空間で、どんなひろがりがみられるんだろうと、向かうあいだからたのしみに。
間口2メートルほどではないかとおもわれるそこに、6点の写真が展示されていました。

くじらよろしくとびたつ鳥たちの大群は、まるでひとつの生命体
ひかりの円環にある鳥は、つばさの羽いちまいいちまいを
はばたかせて空をおよぎ

ふわりゆらめききらめく粒子でさえも、
ぜんぶ、ものなんだ、とおもった。
そして、あまねく照らされている。
ものがあってこその反射。

先月の由良環さんの個展でもおもったけれど、映されているものがせかいと織りなす瞬間が、見るものに映ってきたら、映されているそのものが何であるかはあまりおおきなことではなくなってくる。
そんな感覚は、いつでも胸をひらいてくれるし、わたしにとって見ることのなによりの意味だと、あらためて感じさせてくれました。


昨年春以来、実家ではほんとうにいろいろなことがつづいているのだけれど、先月母が痛めた腰が、腰椎圧迫骨折だったことがわかりました。
痛みのピークは越えているから、いまは一歩一歩、全身と心持ちとを、大切にしていく。母もそれはわかっている。けれども気持ちを立てていくのに、たいへんなようすが伝わってきます。

日々のなかで「気をつける」ことはあるていどできても、出来事をコントロールはできない。
だからこそ、きたものにどう応じていくか。そしてそこから聞こえてくること。
だいじなのはきっと、ただそれだけ。
わたしも、2年前に習いはじめて中途のままになっている療法を、再開したいとおもっています。



ちいさな冒険



22日(土)13時より、純銀のペンダント、ピアスの、セミオーダー受注会です✨

好きなものを選ぶ、のもすてきだけれど、それだけでは出会えないものもあるようにおもいます。
ふだんの好みをちょっとだけこえて、なんだか気になる、というものにふれること。

そんなちいさな冒険。
あなたから出てくることばとシルバーをよすがに、出かけてみませんか?

中村橋のカフェkuutamoさんにて、お待ちしています☆

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朝の収穫



今朝の欅たち。
ヨガと瞑想をして顔を上げたら、微風にゆれて、葉のさざなみの音が。

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目の前に樹々がいてくれるーー
いまここに住んでいるのは、何にも代えがたいこのよろこびのためです。

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気になりながらも水をあげるだけで放りっぱなしにしていたプランターを、おそるおそるかきわけました。
するとこんなものが見つかったのです。

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ルッコラが種を結んでいました!

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植えていたのはルッコラとにんじんだけだったはず…
にんじんはまだ育っているから種はできない。
とすると、この2種類に見える莢はいったい、ルッコラとなに?

下のはまちがいなくルッコラのようだけれど、上の丸っこいのがわからない。
ひとつ割ってみたら、ふわっとしたスポンジのような莢に、茶色の種ができていました。
上下では種の大きさもちがう。不思議です…
蒔いて育てたら、なにが出てくるだろう? とてもたのしみ。


このところの湿気と暑さで、部屋に花を生けていても、たちどころにしんなりといたんでしまうので、そうだとおもいたったのがこれ。
せっかく土のある公園のまえに住んでいるのだから。

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いま時期にのびている野草は、暑さや湿気を日常に生きているから、そうかんたんにへばりません。そしてなぜか、風までいっしょに連れてきたかのように、すずしげでもある。
野草の佇まいの、端正なのにはいつもおどろかされます。
なんでもないガラスに挿すだけで、それぞれがそれぞれにあるだけで、立ち上がってくる空気がある。

植物たちとたわむれた朝。
ちいさなひとつひとつから、ことばを受け取れる。
ありがとう、ってこころからつぶやいている。
こんな時間、いちばん好きだなあ。


そして今週は、とってもうれしい出来事がふたつも。
4日からkuutamoさんで、シルバーの展示販売がはじまったこと。
もうひとつは、北陸に住む友人が、退院からまだ10日しか経っていないというのに上京したから、顔を見られたこと。ごはんをしっかと食べるすがたを見られたこと。

先月から「この日に行くぞ」と決めていたらしく、もらった手紙にもそう書いてはあったけれど、さすがに7月初めはねえ、とおもっていたわたし。それが、眼差したものに向かってずんずんとすすんで、やってきた。
すごい! もうびっくりです。
とても淡々としてみえるひとなのだけど、このパワーにはもうただただ脱帽。
わたしもあやからなくては!


月灯りのシルバー、はじまります



月灯り、という名のお店。
ことしの10月で開店2年になるkuutamoさんで、3度目の展示販売をさせていただきます。
7月4日(火)から28日(金)まで、asanokaorianのシルバーアクセサリーをごらんいただけます。

きのうの夕方がその納品だったものから、朝から準備を。
ようやく持参できたのは18時、店主のY子さんをお待たせしてしまいました。

それから、Y子さんの企画でコラボ展示をさせていただくことになった、アロマサロンラポールさんのアロマ石けんとともに、ディスプレイ作業を。
アロマ石けんは、透明感があり、あざやかなのに深みのある、とても美しい色合い。石のようなかたちもあれば、円柱のかたちも。
石のようなかたちのせっけんは、本たちといっしょに。

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キャビネット内のディスプレイ。
折々変化はあるとおもうけれど、まずはこんな雰囲気で、スタートです。

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そして、22日(土)13:00−18:00に、セミオーダーメイドの受注会をさせていただきます。

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さまざまな作り手さんといっしょに、pieni toriというイベントで。

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その方のもつことばのかけら、かたちを、いっしょに見つけていけたらいいなとおもっています。

つぎはこの日のこと、銀のひかりをお届けするよすがを考えていきます。
しつらえてくださるY子さん、みなさんに感謝しながら、ひとつひとつ、一歩ずつ、いいものにしていけたら。

手首の術後9ヶ月の診察で先日、腱鞘炎の気配を指摘されたものの、しばらくごぶさたしている蕎麦を時間を見つけて打ってもみたいし、やりたいことはたくさん。

あれこれと奔走するばかりでなく、じぶんに都合を聞いてあげることがほんとうはいちばん大切なのではないかと、このところおもっています。
じぶんとの約束のために、予定をあけておく。それがいまわたしには、とても必要になっている気がするのです。



からだのはらむことば



ふつうに過ごしているよりもおどっている姿のほうに、よりつよくことばが浮かびあがるのはなぜだろう。
いろんなときを折りかさね経てきたからだが、ただただその場になげだされているからか。
そこには、どう見せよう、どう語ろう、という意図はいっさいみえない。

春にひきつづき昨日(6月24日)、ソケリッサの踊りを見にいきました。
題して「新人Hソケリッサ!・寺尾紗穂 ライブ&パフォーマンス!!」

まさかの寺尾紗穂さんのライブが冒頭にあり、それからソケリッサの「日々荒野」、そしてメンバーが、自身のえらんだ寺尾さんの曲を、弾き語りとともに踊るーー
もうこれでもかというほどの充実ぶり、ゆさぶられどおしで、あっというまの2時間。

からだは、ほんとうにたくさんの、ことばにならないことばを内包してるんだーー
そのせつなさ、いとおしさを、今回もソケリッサは教えてくれました。
ふだん音をひそめているそれが、踊りはじめるとからだからふつふつと立ち上がってきて、そのひとのものなのにそのひとだけのものじゃない、そんな情景があふれだしてくる。
奥底にねむっていたものが、うごきとともにあらわれでてくる。
じょじょに、そしてなぜだろう、つつましく。

だれひとりとしておなじことばを宿しているひとはいないのに、それらがメンバー同志や寺尾さんのうたと共鳴しあう瞬間が、幾度となく訪れる。見ているわたしのそれもいっしょに鳴りはじめるともう、あふれてくるものをとどめることができませんでした。

この場にいるすべてのひとに「あの日」はある。
いとおしいひと、とんでいきたいほどになつかしい場所、逃げだしたくなるようなおもい。
それが、わたしばかりでない、あの場のひとみんなのなかにふうわりふうわり浮かんでいる、その気配を感じていました。

おもえば、生きてきて、ただしい答えが出たことなどいちどもありませんでした。
ーーあかるい道とくらい道 はざまの小道をすすむんだ
あかるい道をいったつもりがくらい道になっていたことも、幾度もあった。
けれども、月あかりを見つけ足元を照らすことさえできれば、そこははざまの小道になる。そのときどきのほんとうは、きっとそこにこそある。
場で奏でられた「楕円の夢」がくれた、おくりものです。



こんな盛りだくさんの公演が終わった直後さらに、おもいもよらぬうれしい再会がありました。
フラワーエッセンスのワークショップで何度かお会いしていてお顔を知っていた方が、少なく見積もっても100人以上はいたであろうあの会場でわたしを見つけ、声をかけてくださったのです。

ここには寺尾さんを聴きに? とたずねられ、ソケリッサも寺尾さんも大好きでとこたえたら、なんとそこに関わるお仕事をされているのだと。
いまたいせつな、幸せな時期を迎えておられるご様子も、とてもうれしかった。
春につづきソケリッサの公演は、うれしいできごとを連れてきてくれました。ありがとう。



先週20日は、術後9ヶ月目の診察で、3ヶ月ぶりに東大病院へ。
上野にでかけるとかならず立ち寄る、びわ湖長浜観音ハウスさんには、いま西浅井町集福寺の聖観音立像さまがおわします。
たいせつにしているこの地の方が、お貸しくださったほとけさま。

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後ろにまわると、一時、観音さまのまなざしをかりてせかいを見ることができる。すると景色が、その瞬間が、けなげでとてもいとおしいものにおもえてくるのです。

不忍池のまえにたたずむ、タチアオイ。
まるで蓮池をながめているかのような立ち姿。
ここでも、まなざしをかりて。

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蓮の新緑というものがあるのなら、20日はまさにそのときだったのかもしれません。

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もう15年以上も前でしょうか、母がベトナム土産に買ってきたロータスティーのかぐわしいかおり。
あの頃の母の勝気なたたずまいもいっしょにおもいだされる、あのかおりが、あたり一面をふうわりおおっていました。




夏の月あかり



7月から、シルバーの展示販売をさせていただきます。
今度はなんと、オーダーメイド受注会も行なうこととなり…
詳細は近日中に。

あたらしいペンダント、そして初のこころみのピアスの数々を、ともがらが撮影してくれました。

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そして、樹の実の殻をかたどったものもいくつか、出品する予定です。
わたし自身も、マロニエの実の殻をかたどったシルバーがとても気に入っていて、数日に一度はつけています。
つけるたびに、なにか守られるような心地を感じる。

樹の実の殻は、実をはぐくむ役目を終えるといつか根や幹への献身になるという、とても覚悟のすわっている存在です。それなのに目に留まることはあまりない。だからこそ、そのすがたをひかるものに映しとりたいとおもわされるのです。





自由の種



7月にシルバーの展示販売をさせていただくので、あたらしいものを製作しています。
今回は、店主のYさんやともがらからリクエストいただいたピアスも。

ペンダントをつくる、というのには、胸にいちばん近いところにくるものだから、というおもいがありました。けれども、ひとのからだのどこにも意味はかならず宿っているのだから、それにふれられるのであれば、こだわる必要はないような気がしてきて。

そして、これまでなぜか使おうとおもわなかった、シルバーのチェーンも取り入れることにしました。
チェーンも、ともがらからいわれたふとした一言「いまさらだけどさ、チェーンもいいんじゃないの?」ということばから、使ってみようとおもったのです。

いつのまにかじぶんで設定したきめごと。
そのなかにはもちろん、すごく大事な芯もふくまれるけれど、しばられる必要のないものもあって。
しばられている部分を無心にたどってみると、そこにこそ自由の種があるのだと、今回気づかされています。

先週行ったファーマーズマーケットで仕入れてきた、すばらしい効能をもつハーブ。
それをかたどったもの。
これは、じぶんでもとても気に入っています。

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月明かり、というお店の名にも寄り添えそうな、ピアス。

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こちらは、このままオブジェにしておこうかな、ともおもっている、くるみの殻の一対。

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そしてこれは、1週間北海道に旅していたともがらからのお土産。
わたしは松がとても好きなのですが、北海道の松の、松ぼっくりらしい。
勾玉みたいなかたちが、どこか神秘的なかおり。

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いまの仕事では、勤務時間のなかで3分野の業務を兼務しているのだけれど、それぞれの種類がまったく異なるから、あたまの切り替えを器用にできないわたしにとって、ふつうの状態でも帰宅後はぐったりとなります。
先週1週間はそれが多忙をきわめ、季節外れの風邪を、かなり悪化させてしまった。
そこでひとつ学んだのは、SOSを出し、ひとにお願いすること。

金曜日はもう限界にきて、仕事が到底間に合いそうになくなって、お願いできる部分を交代、あるいは代行していただいたりしたのです。結局きのうはダウンして一日寝込んだけれど、これはひとつの学びだったような気がしています。

おもえばずっと、ひとに頼る、お願いするのは、不得手だったかもしれません。
その自覚はなかったけれども、手に手に助けられて初めて、そうだったのかと気づかされたのです。
じぶんは、できることであれば、またできる状況であれば、ひとに頼まれれば応えたいとおもうし、それがうれしいことだってある。
持ちつ持たれつだと言葉やあたまではわかっていても、じぶんは持つ側でいたいという気持ちが、どこかにはたらいているのでしょう。
今回の風邪が、教えてくれているようにおもいます。


北陸の友人が、ほんとうにすごい回復ぶりをみせて、昨日は外出したのだそう。今週には早くも、退院のはこびとなるらしい。
ほんとうにうれしい!
信じていたけれど、それでもなにかのちからを感じずにはおれません。

そしてわたしは、20日に東大病院の診察です。
これでだいたい、術後9ヶ月。
ときおり違和感や痛みはあるものの、まあまあ順調のよう。
そろそろ不忍池の蓮が、毎朝ぽん、とおとを奏でながら、咲きはじめたころあいでしょうか。



星のかけら



石が好きです。
いうなれば、星のかけら。
気の遠くなるような歳月を経て、いまこのすがたでここにいるもの。

集めている、というわけではないのです。
けれども、旅や海辺、里山にでかけるたび、理屈なしに、そのときの気持ちに添うものを連れかえります。
それでなにをするわけでもないのですが、職場のデスクで眺めたりふれたり、部屋の片隅にころがしておいたり。
あると不思議と落ち着くもの。

そのときの気持ちに添うものとなると、かならずしも紋様がめずらしかったりきれいだったりするわけではないから、あとで見返すと、場の空気や心情をおもいだすよすがになってもくれます。

宝石でもなんでもない「石」のことをとくに話題に出すこともなく、これまできたのだけれど、ひょんなことから、石好きが身近な仲間のなかに何人もいることがわかりました。そのひとりは、石を職場でポケットに入れて時折握ったりしている、というのです。
えええ、わたしもだよ、と数人で盛り上がって、とうとう先週末、海辺へ石拾いにでかけることとあいなりました。

そこで連れてかえってきたのがこの石たち。
石を拾うのはいつも川辺が多いから、海だとこんなにかたちがなめらかなのか、と新鮮におもえます。
今回は、7月からのシルバー展示販売にも使いたいなあ、とおもいながら浜にしゃがみこんだので、大ぶりのものもいくつか。

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ここにしかあらわれようのない線。あわあわとうかぶ色。ぶくぶくとどこからうまれてきたのかとおもわせる紋様。どれも、てのひらにのせるとじんわりあたたかい。


先週までしばらく空白の日がなくて、かなり呼吸が浅くなっていたのだけど、シルバー制作のこともあり今週は、じぶんひとりのことだけにかまけています。

昨日は、ともがらにすすめてもらった写真家、由良環さんの個展をみに、表参道画廊へ。
その道すがら、神宮前小学校の裏庭にこんなあじさいが咲いていました。

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うずを巻くように生えている花びらが、二重、三重になっているのです。初めてみた。
白地にうっすらと青みを帯びるグラデーションは、やはり一枚としておなじものがなくて、みつめていると、花たちがひとつながりになっておおきな紋様を描いているようにおもえてきます。
ここで一息、大きな深呼吸をさせてもらった。

ビルの階段を降りて画廊に足をふみいれると、たまたま来場者はわたしだけでした。そのしずかな空間は、この場に入るのを、やさしく案内してくれました。

展示の中程を過ぎたころ、「道はどこにでもうまれている」と、よぎりました。
コンクリートのそばにわさわさと生えた草の、したをくぐれば。
堤のうえに足を踏み出せば。
そこに風は生まれてくる。
いまここにみえなくても、流れはある。
映っているものを透して、映っていないものが語ってくれている。

後半は、映っているものそのものをみているのではなくて、その奥にある揺れとじぶんとの共振をみていたような気がします。
これが波であっても砂であってもひかりであっても、それ自体をみるのではなくて。
たとえば、マーク・ロスコのシーグラム壁画の前に立つときのように。

そのころ由良さんが声をかけてくださって、気づけば小一時間ほど、お話ししていました。この展覧会を紹介してくれたともがらのことや、展覧会に添えられた言葉のこと。この後半の写真たちのこと。

わたしは展覧会や個展にいくとき、ほとんど調べずにそのまま行ってしまうことが多い。
今回もそうでした。
実際に作品の前に立つと、映されている場所がどこなのかごくおおまかにはわかるけれど、詳細に知りたいとはあまりおもわない。じつにひとりよがりな鑑賞者なのだけれど。
でもお話しさせていただいて、それもいいのかなとおもいました。
由良さんを透した流れのなかに、まっさらにたゆたうことができたからこそ、感じることにもベールがかからなかったような気がして。


そして、背が高くなって切り戻したハナキリンの枝を、あたらしい鉢に挿し木したり。

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先週ともがらから届けてもらったどくだみたちが、パリパリに乾いたので、仕込んだり。

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きょうはこれから、シルバーをつくっていきます。
おもえばこれも、星のかけらなのですね。




草を見上げる



6月に入って、部屋のまえのケヤキもすっかり、たのもしい色に染まりました。

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朝のひかりをあびてかがやく姿はただただ一本の樹で、見ていると、いまいる場所をわすれそうになるほど。
小鳥たちも楽しそうに、梢を行き来しています。
きょうはとりわけ爽やかな天候で、部屋にいてもほんとうに気持ちがいい。
こんな日はなかなかありません。


そんななかきょうは、ともがらと一仕事。
もう10年近くともに暮らしているハナキリン、背丈がひょろひょろ伸びて倒れそうになってきたので、切り戻すことになりました。
切り戻した枝は、また土に挿しておき、根が出るのを待ってみます。

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そして、里山から十薬の差し入れ。
そう、どくだみ茶を作るのです。願わくば、1年分できるといいのだけれど。
いま時分がいちばんエネルギーがあるといわれるし、梅雨に入るまえに乾燥させられるから、まさに作りどき。

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花ごと洗って、15本くらいずつ束ねて、洗濯物みたいに下げて干します。
たぶん、ぜんぶで300本はあるとおもう。
下からその束を見上げると、いつもと立ち位置が逆だから、こちらが草になったような気分。
草たちはふだん、のぞきこむわたしを、こんなふうに見ているんだろうなあ。


先週お見舞いに行った北陸の友人から、治療でいちばん懸念だったところを無事通過できたと、連絡がありました。
仕事中、iPhoneの黒い画面にぴょこんと出てきたメッセージをみて、文字通り胸がいっぱいになった。

そして同じ日、この半年というもの、肺炎で入院したりペースメーカーを入れたり歩けなくなったり…とほんとうにたいへんな変化を越えてきた父母から、ようやく東大病院を無事に往復できたと連絡が。
頸椎骨折の術後10ヶ月になり、そう遠くないうち、首につけているカラーを外せるときがきそうです。


草を見上げて、おもう。
わたしも土に、あしをつけているのだと。
いろんなひとから、ひかりや水のごとく、かけてもらってきた言葉。
それをどれだけ、わたしは信じられずにきたことだろう。




一日一日が旅だから



このところ、言葉がでてこないという感じがあって、きょうも心許なくおもいながら書いています。

連休前に、ともがらの大切なひとが病室でよこたわっているという状況を知ったのだけれど、それから間もなく北陸に住む友人から、いま入院しており、かなり重篤な状況になったものの命をすくわれた、という手紙が届きました。

そこで、知人から話を聞いたり本人とメールをしたりで、なんとかお見舞いには行けそうな状況とわかり、昨日は北陸の街まで日帰りでとんでゆきました。
北陸新幹線さまさまです。

手紙に書かれていた、いまはほんとうに一日一日、一時間一時間がいただいた命、という言葉が心にのこっていたものだから、お見舞いにはメイ・サートンの詩集『一日一日が旅だから』をたずさえて。

行って話を聞いたら、持病から派生した症状はいまも予断を許さない状況ではあるものの、やはりすくわれたというほか言葉がみつかりませんでした。

話してくれたことはみな静かに響いてきたけれど、ことに「これまでやってきたのは何だったのかと、おもわないわけではなかったけど、そんなことよりいまだっておもう」という言葉は、わたしにもそのまま重なった。
そしてあらためて、彼女の聡明をおもわずにおれませんでした。

友人のおかげでしばらくぶりに手に取った、メイ・サートンの詩集。
おもえば、「一日一日が旅だから」ってすごい一節です。
こうつぶやくだけで、奥のほうの、見過ごしているものにひかりが当てられるのだから。
「新しい地形」という詩のなかにでてくるのだけれど、このタイトルも、とても深い。


部屋の近くでは、白い花たちがほころびはじめました。
まばゆい青葉、真白い花弁に淡黄の花芯。
いまの時期はなぜか、こんな組み合わせにたくさん出会います。

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山法師。葉の上で空に向かって咲くから、うつむいて歩いていると気づかない。かくいうわたしも、きょうともがらに教わって見上げられました。
この花をみると、夏の終わりに実をいただいてシルバーに象るのが、楽しみになります。

そして、可憐なこの一草。

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いま時分にいちばんエネルギーがあるそうなので、また摘んで、どくだみ茶を作りたいとおもいます。

そして7月にむけて、シルバーも。
今回はいろいろな意味で、少し、あたらしいかたちを試みようとおもっています。




あまつたう



  あまつたう


 西方は
 日を連れて
 名残り

 すでに静もる
 東方の
 群青に
 星月の清む






おもかげの開花


ともがらから、心待ちにしていた差し入れがありました。
これです!

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たけのこは、毎日でも食べていたいほどの大好物です。
掘り立てを茹でて、おさしみに。
そして、添えられたのは、朝摘んできてくれた山椒でつくった山椒味噌。

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この組み合わせは、ほんとうにパワフルです。
香り高く美味しいばかりでなく、冬モードにいまだとどまるからだから不要なものを出して、春夏へと向かわせてくれるんですから。


連休は、通いつづけている土地でまばゆい新緑や山桜にたくさん会ってきて、まなうらにはいまも面影がきらきらしています。
なかでもおもいいれのある一本は、数年前の落雷によって半身をうしなったから、葉が芽吹いてはいたものの花を見ることはできなかったのだけれど。

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それでも、黒焦げになった半身をなでて、あなたはきっと花を咲かせる、待ってるよ、と声をかけてきたのです。

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昨日ふと、町の観光協会のブログをみたら、その峠の守り神は、8日に満開になったというではありませんか。

もう、言葉がなかった。
わたしたちが峠の頂に樹をたずねたのは4日。そのときにはぜんぜん気づかなったけれど。
葉のしたではたしかに、献身の輪廻が息づいていたんだーー

いまともがらの身近なひとが、白い部屋の窓辺によこたわり、まなうらから空を見上げる日々をおくっています。
そのひとへのおもいをかたわらにしながら、出かけた旅でした。
この山桜の、腕を満開にして山脈と呼応しているすがたが、どこか深いところを通じて届きますようにーー



宇宙のかけら



東北の里山へ出かけてきました。
山形、新潟、福島の県境にあるそこに、年に一度くらいたずねるようになって、十数年ほどでしょうか。

代名詞のような言葉が見つからない場所、関係。
おもえば、わたしが心地よく感じるものにはそんな特徴があるようです。
この旅先へも、なぜこんなにも繰り返し、飽かず何度もでかけているのか。
いわゆる観光地ではまったくない。
温泉をゆっくり楽しむというのでもない。
登山でもアウトドアでもない。

あるのはただ、
大きくきびしい、そして素朴であたたかい山々
献身の輪廻のうつくしい樹々
つつましい花々
やわらかな人々
苔を育む清水
風とともにうたう小鳥

あるのは、そんなものたち。
だから、なにをしてきたのと尋ねられるたび、なにもしなかったとこたえているのだけれど。
けれどももっというなら、ここに還っていた。全身で感じるをしていた。そうおもっているのです。


カタクリは宇宙のかけら

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山笑う、はほんとうだ

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若芽でしか見られない、ころもかがやく山毛欅

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峠の頂の山桜、ただひとりでわが身を放つ

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咲かない峠の守り神、天にひらかれるときを待つ

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この山桜は、数年前の落雷で焼けてしまいました。
けれども、残された半身の枝々からは、みずみずしい葉が芽吹いているから。


見て 見られて 入って
ただそのままに、いませ

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こちらが開きさえすれば。向こうはいつだって、開いている



移ろうひかりをうつす



あすから5月。
まさに五月晴れのきょう、ともがらとともに日がな欅を眺めていました。
そうしていると、移ろうひかりとともに、刻々と表情がかわるのがよくわかる。

朝早い時間。
おもわずため息のもれるような、それはそれはあざやかな若草色。

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日が少し高くなると、ひかりをすいこんで黄色みをおびてきます。
ついこのあいだ芽吹きはじめたとおもったら、みるみる手のひらをひらき、もうしっかりとした葉脈がみえる。

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こうなるともう、見ているのがどちらでだれなのか、まるでわからなくなります。

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この感覚は、先週ともがらのすすめで観にいった、原美樹子さんの写真から受けた体感でもありました。
もっといえば、見るといういとなみじたい、目だけがはたらいているわけじゃないんだとおもった。

たとえば、おそらく子どものものとおもわれる腕がぼんやりガラス窓にはりついていて、その向こうに景色が見える。
そんな一枚をみたとき。
腕だって「見る」を知ってる、やってる、と気づかされたのです。

ゆったりと場にいられさえすれば、見ると見られるの境界はほんとうにはなくて、見るも目だけの役割じゃない。
映しとられているのも一瞬のようにおもえるけれども、凝らしてみればそこには重なりあう時がせつないほどにとどまっていて、それが地面から立ち上ってくるように感じられる。
おもえば、ひかれるのはいつも、そんな作品たちなのでした。


昨日は数年ぶりに、ヨガスタジオへ。
銀座の伊東屋へ行く用事があったから、ついでだとおもいたって、クラスを受けてきました。
ヨガのためだけに設えられた場が、変わらずそこにあることのありがたさ。
部屋でやるのは習慣としてとても大切だけれど、ぐらぐらしがちなじぶんのために時折でも来たい、とあらためて感じました。
会員証を受付に忘れてきてしまったのは、またすぐに行きなさいということかな。




風をとらえて



昨夕からきょうの午後まで、実家に行っていました。
芽吹きや開花とともに、父母のようすも明るくなってきています。

先月は歩く練習をするのに人目を優先していた父も、実際に外にでてあたたかい声に触れられたり、要介護と障害者の認定がおりたりといった出来事を経て、自身をオープンにすることにためらいがなくなってきたよう。
それはとりもなおさず、じぶんのせかいの見方を変えることでもあるから、あたらしい一歩を踏み出したんだなとわたしまでうれしくなります。

年明けの父の入院からここまで、今回は、それぞれがそれぞれの課題をそれぞれに受けとめて応じていく、そのことを実際にさせてもらってきたような気がしています。

実家近くにはまだ緑が残っていて、駅まで散歩のあいだにも、たくさんの草花に出会いました。


実家の庭にて。
どこからこのはなやかな香りがするんだろうとおもっていたら、おもいもよらず、この小さな花々だった。

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この花も実家の庭で。
スターオブベツレヘム。
この花のフラワーエッセンスは、「痛みと悲しみを和らげ、慰める」といわれます。
これまで、実家の庭でみたことはありません。
植えた覚えはないのだけれど、鳥が種を運んできたのかしらね、と母。

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歩きはじめてひさしぶりに出会った、名も知らぬ野花。
小さいころから、この花が大好きでした。草の蔭に咲いて、花が終わるとまんまるく茶色い珠を結びます。

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かがやくような、たんぽぽの群れ。
蜘蛛の巣にわずかにひっかかって、飛びたくて飛びたてずにいる綿毛は、風があともうひと吹きすれば、きっと舞い上がってゆける。

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風を、とらえて。



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Author:麻
美術/仏像/自然/蕎麦/シルバー/
読むことと書くこと/ヨガ...

日々かかわるたいせつなものたちについて、感じることを感じるがままに......

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